F 高等学校の実践1 | ||||||||||||||||||||
養護教諭がかかわったチームによる援助 | ||||||||||||||||||||
ア | 急に保健室利用が増えたA子 | |||||||||||||||||||
A子は9月になり,急に保健室での休養が頻繁になった。その主な利用は「気持ちが悪い」だった。
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イ | 予防的な指導・援助の実際 | |||||||||||||||||||
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ウ | その後のA子の様子 | |||||||||||||||||||
A子はその後保健室で休むことはなくなった。元気に授業と部活をこなしている。クラスでも友人たちに囲まれ,明るい表情が戻っているとのことである。久しぶりに行事で見たA子の表情は生き生きとしていた。担任もその後A子に「部活はどうだ?」と声かけを続けているとのことである。また,養護教諭も部活動顧問に部活でのA子の様子について確認している。 | ||||||||||||||||||||
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エ | 今後の援助活動について | |||||||||||||||||||
11月に入って,今後のA子をめぐる援助方針について担任との話し合いの場を設けた。その時の援助チームシートは表 18に示すとおりである。第2回は第1回の作戦会議後のA子の変化と今後の対応が話し合いの中心となった。A子は笑顔も戻り,以前のように元気になった。同じような経験をしたG子との保健室での出会いはA子にとって大きな援助資源の出現と言えよう。しかし,担任から,A子は他のクラスメートに比べると欠席・早退が多いという報告があった。今後もA子を見守り,ささいな変化にもすぐ対応できるような体制づくりが欠かせない。今回のチーム援助を通して,その土台はできたと考えられる。 | ||||||||||||||||||||
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オ | 援助実践を振り返って | |||||||||||||||||||
A子は幸い大事に至ることもなく,今回の危機を乗り越えることができた。本人の能力によるところが大きいが,それを信じて本人を励まし続けた担任の対応も功を奏したと思われる。養護教諭も,すぐに担任に報告することができ,早期に周囲からA子への対応の変化を引き出すことができた。二次的援助を必要とする生徒の場合,援助資源としての周囲の人たちへの連絡や調整だけで,三次的援助を必要とするまでに至らずに済むのではないだろうか。 学校では一人の生徒について、口頭で情報を交換することが多い。今回援助チームシートや援助チェックシートを使ってみて口頭よりも情報が得やすく,具体的な援助方法がチームメンバーに定着するのを感じた。話し合いの場では,それぞれの考え方や,一人の生徒にかかわる際の組織の在り方まで語り合うことができた。高等学校では一人一人の生徒に教師側がチームを組んで対応するという体制を組みにくいというのが現状ではないだろうか。教育相談の組織がない場合, 援助チームの立ち上げには,最初に本人の“SOS”に気付いたメンバーが担任・部活動顧問・養護教諭などの点と点を線でつなげていくコーディネーター役を担うのが自然であろう。やがて円になった時,教育相談の組織としての取り組みが始まると考える。 |