第2 「総合的な学習の時間」のねらい
 
 「総合的な学習の時間」のねらい
   「総合的な学習の時間」は,平成8年7月の中央教育審議会「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について」(第一次答申)において,「生きる力」が全人的な力であるということを踏まえ,横断的・総合的な指導を一層推進し得る新たな手だてを講じ,豊かな学習活動を展開していくことが有効との考え方から,「一定のまとまった時間」(総合的な学習の時間)を設けることが提言された。
 また,この指摘を踏まえ平成10年7月の教育課程審議会答申においては,各学校が創意工夫を生かした特色ある教育活動を展開できるようにするとともに,横断的・総合的な学習などを実施できるようにするための時間を確保することから,「総合的な学習の時間」の創設が提言された。
 さらに,平成10年12月に「学習指導要領」(小・中学校)(高等学校は平成11年3月)が出されたが,「総合的な学習の時間」については,その「総則」に取り上げられ「ねらい」や「学習活動」等が示された。しかし,「総合的な学習の時間」については,教科等のような「目標」及び「内容」は示されず,各学校がそれぞれの実態を踏まえ,その目標及び内容をつくっていくこととなった。
 このように,「総合的な学習の時間」は,今回の教育課程改訂の基本方針の一つである「各学校が創意工夫を生かし特色ある教育,特色ある学校づくりを進める」上から,その中心的な役割を担って新たに創設されたわけである。
 「総合的な学習の時間」のねらいは,次の二つである。
 
自ら課題を見付け,自ら学び,自ら考え,主体的に判断し,よりよく問題を解決する資質や能力を育てること。
学び方やものの考え方を身に付け,問題の解決や探究活動に主体的,創造的に取り組む態度を育て,自己の生き方(高等学校は「在り方生き方」)を考えることができるようにすること。
   このねらいは,小学校から高等学校までほぼ共通であるが,その目標や内容は示されていない。この「時間」の創設の趣旨で,「総合的な学習の時間」は,各学校が創意工夫を生かした教育活動を展開できるようにするとともに,この「時間」の学習活動が教科という枠でとらえきれないものであること等を考え,各教科のような内容は示さなかったのである。このことの意味を改めてしっかり受け止めておく必要がある。
 また,その際に考えておきたいことは,「総合的な学習の時間」は,「自ら学び自ら考え,問題を解決するなどの『生きる力』の育成や学び方やものの考え方の習得などのねらいの下,各教科等で身に付けられた知識や技能等を相互に関連づけ,深め,総合的に働くようにすることを目指す」(小・中学校学習指導要領解説 総則編,高等学校も同様)ものであり,いわゆる「知の総合化」を図ることを求めているということである。このことは,「総合的な学習の時間」がその時間のみで完結するのではなく,各教科等の学習における基礎的・基本的な学習の上に成り立ち,また各教科等は総合的な学習によってさらに学習が深められていくといった「相互補完」の関係でとらえていくことが必要であることを示している。

(*「相互補完」の関係については昨年度の研究紀要を参照されたい。)

 
 目標と内容
   各学校が目標や内容をどのように押さえていくのかを考える時,示されている「ねらい」が重要な指針となる。そこで,「ねらい」をもとに児童生徒に身に付けさせたい資質や能力とは何かについて整理してみた。
 
自ら課題を見付け,自ら学び,自ら考え,よりよく問題を解決する資質や能力。
  (課題を見付ける力,問題を解決する力)
情報の集め方,調べ方,まとめ方,報告や発表の仕方などの学び方,ものの考え方。
  (学び方,考え方の習得)
問題解決や探究活動に主体的,創造的に取り組む態度。 (主体的,創造的に取り組む態度)
自己の生き方についての自覚。   (生き方の探究)
   これらの資質や能力は,課題に取り組む学習の過程を通して,児童生徒が身に付けることをねらいとしている。
 次に,「ねらい」に示された,児童生徒に身に付けさせたい資質や能力をもとに,目標及び内容について整理したい。
  図
  図  「ねらい」をていねいに読み込み,この時間で身に付けさせたい資質や能力とは何かを洗い出し,学校としての目標を設定する。また,ここでいう内容とは,学校としての目標や児童生徒の実態等を踏まえて,例えば,学校や地域の特色に応じた課題についての学習活動には,どのような学習の内容があるかを押さえることである。
 この目標と内容の部分がはっきりしないまま,いきなり「単元(活動)をつくる」ことからスタートしてしまうと,活動はしたが,学習内容がはっきりしないといったことになりかねない。したがって,「単元(活動)をつくる」にあたっては,「総合的な学習の時間」の「ねらい」をもとに,まず自校としての「基本的な考え方」(目標と内容)を押さえておくことが必要である。
 内容に応じて扱うレベルを各学年へ具体化していくことで,例えば右図のような学年別に押さえた内容とその系統性を表した指導計画ができる。取り上げる学習の内容を決めておくことは教師にとっても,また説明責任の上からも必要である。学校として大切にしたい内容領域をもとに右図のような指導計画を作成しておくことが,学習の方向性を示すことにもなる。ただし,これも固定したものではなく,学習後には再び見直しが行われなくてはならない。こうした見直しや修正は,毎年行われていくことで,その学校としての内容と系統性の関連も明らかになってくるはずである。
 
 内容と単元の区別
  図  目標と内容を踏まえて,次は「単元(活動)をつくる」ことになる。ここで注意したいことは,例えば,生活科の「生き物への親しみをもち,大切にする」という内容と教科書で取り上げられている「ザリガニ飼育」という単元(活動)を一緒に考えてしまうことである。「生き物への親しみをもち,大切にする」という目指すべき内容をもとに,どんな教材や学習活動を取り上げるかは,もっと選択されてよいのである。このことが,ここで言う内容と単元を区別して考えるということである。
 「総合的な学習の時間」は,各学校が創意工夫を生かした教育活動を展開できるようにすることから,目標及び内容が示されなかった。ここが,まさに各学校が独自に内容編成をしていくという,いわば任されたところなのである。
 したがって,内容と単元(活動)を区別した上で,単元の開発をしていくということは,内容をもとに「何をするか」は,決まった学習活動といったものがあるのではなく,児童生徒の実態や興味・関心に応じた,あるいは学校や地域の実態に応じた様々な学習活動が考えられてよいということである。このことを踏まえ,児童生徒の求めに応じた活動を組み立て,問題解決的な学習に取り組むことを通して,よりよい生活の在り方(生き方)を考えていけるような学習の構想を立てたい。
 また,「単元(活動)をつくる」ときに考えたいことは,例えば「環境」を取り上げたとして,「環境=ごみ問題」が始めにあって,ここから「空き缶を拾う活動」という流れで展開されるとしたら教師主導になりかねないということである。そうではなく,身近な生活からの問題に目を向けていったり,教師からの問題の投げかけがあって,例えば「ゴミ問題」が話題の中心となっていった時,クリーンセンターへの見学を希望する子もいれば,ごみについての聞き取り調査に取り組む子もいるかもしれない。こうした活動を通して,「私たちにできることはなんだろう」という問いが出てきたり,ごみ問題の深刻さに気づき,新たな課題が生まれてくるといった流れも考えられる。また,学習後の実践活動として「空き缶を拾う活動」が展開されていくことも考えられる。
単元の展開にあたっては,児童生徒の求めに応じて,あるいは教師側で気づかせたい問題場面づくりを設定するなどの工夫を通して,追究する問題の共有化を図っていく。そして,実際に展開される問題解決的な学習等に児童生徒がどのように取り組み,どのような学びを得ていくかを見ていくようにする。実際の展開と児童生徒の学びと評価をもとに単元の評価が行われ改善への視点を導き出し,さらに目標や内容の見直し,修正が行われていく。(下の資料を参照) したがって,単元(活動)が終了した時点で,活動を通してどのような内容が学ばれたかについて,単元(活動)の評価を通して年度末に修正された内容を記述しておくことが必要となる。こうした実践の積み重ねから,その学校の指導計画が,毎年更新されながらつくられていく。
 このように,単元構想は固定したものではなく,絶えず検討され,評価され,修正されていく。この過程こそがカリキュラムづくりであり,カリキュラムは,計画―実施―評価―改善の一連の過程とそのサイクルによって創り出されていくものということができる。「総合的な学習の時間」のカリキュラムは,年度始めに(計画カリキュラムとして)つくられ,その過程での評価を踏まえながら,改善・再構成されていく。
 
*「教育課程」は教える側の計画や「何を教えるか」の視点が優先される。それに対し「カリキュラム」は,児童生徒側から見て「学習して身に付けるもの」という観点から,何を学習したか(学びの履歴)という意味を強く包含した概念として用いられる。また,教育課程が一般に教育内容についての立案レベルのイメージが強いのに対し,カリキュラムはどんな内容を,どの程度まで,どんな順序で指導したらよいかといった計画であり,その計画に基づいて展開される活動をも意味する概念である。


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