【授業研究4】 高等学校第3学年政治・経済「裁判所」
  1. 授業の構想
     「自分とのかかわりを通して,問題意識を高め,問い続ける公民科学習の指導の在り方」という研究テーマに迫るためには,自らの体験を通して得た知識や感動を自らの方法で表現し理解していく中で,社会と自分とのかかわりを認識し追求する態度を育てる授業が重要であると思われる。
     本単元での「裁判所」は,従来,制度的理解は深いがその実際や人権保障のしくみなどの内容的理解が不十分になりがちであった。これを改善するためには,単に制度として裁判所をとらえるのではなく,自分の生活や自分とのかかわりを通した体験的なとらえ方をする必要があると考え,裁判傍聴や模擬裁判を取り入れた授業を計画した。
     今回は,希望する生徒に実際の裁判を傍聴してもらい,後日,傍聴した裁判内容をもとに摸擬裁判を実施することにより,体験した学習内容を深化させると同時に,傍聴できなかった生徒にも裁判のしくみや流れを知ってもらえるように工夫した。「裁判傍聴」・「摸擬裁判」という作業的・体験的な学習を取り入れることによって,生徒のイメージを揺さぶり,問題意識を高め,学習に対する意欲を喚起することで,自ら疑問を発し,問題解決を図ろうとする態度を身に付けさせたい。

  2. 指導の手だて
    (1) 社会的事象との出会いの工夫
     裁判傍聴の実施
     全生徒が傍聴するのが望ましいが,施設面での制約があるので希望生徒を募り,夏季休業中に実施する。日ごろ接することのできない裁判所の見学や,実際の裁判を傍聴することにより,学習内容を具体的かつ実際的に理解させるようにしたい。
     模擬裁判の実施
     摸擬裁判を実施することは,生徒が自分の体験や感動を自分の言葉や態度で表現することによって,より深く理解し追究できる場を設定することになり,一方で,傍聴できなかった生徒に対しては,より直接的体験に近い疑似的体験をさせることができる場となる。
    (2) 自分とのかかわりを通して問題意識を高める工夫
     裁判所に対するイメージを事前に調査し,裁判傍聴後との変化を比較する。
     刑事裁判の手続きがどのように人権に配慮して行われているかを考えられるように,傍聴ノートにメモしながら傍聴し,自分の疑問や意見を自由に書きとめられるようにする。
     判決が傍聴生徒の意見を参考に宣告されるように工夫し,傍聴生徒が裁判に対し積極的にかかわれるようにする。
    (3) 社会的事象のもつ意味を問い続けることができるようにする工夫
     模擬裁判の中で模擬裁判傍聴者からの疑問や質問,意見,また,模擬裁判担当者からも感想や意見を発表する場を設定し,理解の深化を図れるようにする。
     自分が抱いた疑問や,興味・関心をもった事項について調べる時間を設けて,さらに理解を深められるようにする。

  3. 学習指導案
    (1) 単元   裁判所
    (2) 目標
     司法権の独立の意味を,歴史的背景を含めて理解することができる。
     法に基づく公正な裁判により社会の秩序が維持され,人権が保障されていることを理解することができる。
     日本の裁判制度や三審制のしくみについて理解することができる。
     最高裁判所の地位や権限及び違憲法令審査権について,「憲法の番人」といわれる理由をふまえて理解することができる。
    (3) 学習計画(4時間)
     司法権の独立(1時間)
     裁判のしくみ(2時間)
    第1時 模擬裁判傍聴及び質疑応答(本時)
    第2時 調査研究及び発表
     違憲法令審査権と三審制(1時間)
    (4) 本時の学習
    目標  模擬裁判を通して裁判のしくみや手続きを理解し,人権の保障について考えを深めることができる。
    資料
    A. 教科書(「新政治経済」自由書房) B. 傍聴ノート
    C. 法廷アラカルト(裁判所配布物) D. 模擬裁判担当者の評価票
    展開
    展開

  4. 授業の考察
    (1) 社会的事象との出会いの工夫
     裁判傍聴の実施
     各クラスで希望者を募り,夏期休業中に施設見学と刑事裁判の傍聴を実施した。参加者には,事件名と注意事項,また,後日模擬裁判を実施することを伝え,法廷内で必ずメモを取るようにした。

    資料9 刑事裁判を傍聴した生徒の感想
     裁判所へ行ってみる前は,被告人は何もかも全て言わなければならないと思っていたが,本物を見ると,黙秘権というものがあって,話したくないことは一切話さなくてもよいということを初めて知った。そのようにして被告人の人権が保障されていることがすばらしいことだなと思った。さらに行ってから分かったことは裁判官は裁判を始めてから被告人について知るということも,初めて知った。それは,裁判を公正にするためだということにも驚いた。このようにして裁判を行っていることを知り,僕は裁判所についてもっともっとよく知りたいと思った。

     生徒は,初めて見る手錠,生々しい事件内容,被告人や家族の様子などに圧倒されながらも真剣に傍聴し,メモを取り続けていた。体験がもたらす効果の大きさに驚かされた。
     模擬裁判の実施
     裁判傍聴者で配役を決め,シナリオも自分たちのメモを基に再構成し作成した。実際の裁判は早口な上に難解な語句や専門用語が続出するために聞き取りにくく,細部まで忠実に再現することは不可能であるが,高校生ではそこまでの必要性はないと思われる。本番前日,できあがったシナリオを基に練習したのだが,驚くほど上手に演じており,「実際に見る」ということがこんなにも生徒を成長させるのかと感心させられた。

    資料10 模擬裁判のシナリオの一部
    [事件概要]  被告人は,平成9年5月19日,○町内のパチンコ店内で見知らぬ男から8000円貸してくれと声をかけられ,貸したところ,翌5月20日同パチンコ店内でその男からお礼だと言われて液体の入った注射器をもらった。多分それは覚醒剤だろうと思った。以前から興味があったのですぐに自宅に戻って自分の両腕に注射した。本件が発覚したのは,被告人が5月20日深夜,○町内の自動車修理工場に友人数人と共謀して侵入し,窃盗の現行犯で逮捕されたことによるものである。
    模 擬 裁 判 の 様 子
    模擬裁判の様子
    裁判官  被告人前へ。名前は何ですか。
    被告人  ○○○です。
    裁判官  生年月日は。
    被告人  昭和○年○月○日です。
    裁判官  職業は。
    被告人  無職です。
    裁判官  住所は。
    被告人  ○市○番地です。
    裁判官  あなたは覚醒剤取締法違反の罪で起訴されたので,検察官に起訴状を朗読してもらいますからよく聞いていなさい。検察官,起訴状を朗読して下さい。
    検察官  公訴事実。被告人は法定の除外事由がないのに平成9年5月19日,○市○番地被告人方において,覚醒剤であるフェニルメチルアミノプロパン塩類を含有する結晶約0.5グラムを約6立方センチメートルの水に溶解した水溶液を自己の両腕に注射し,覚醒剤を使用したものである。罪名及び罰条。覚醒剤取締法違反。同法第41条の3第1項第1号,第19条。よろしくご審理願います。
    裁判官  これから審理を始めますが,被告人には黙秘権があるので,答えたくないときには答えなくてもかまいません。しかし,被告人がこの法廷で述べたことは,被告人にとって有利か不利かを問わず,すべて証拠となりますので,よく考えて答えてください。分かりますね。では尋ねますが,今,検察官が朗読した起訴状の中に間違いはありませんか。
    被告人  はい,間違いありません。
    裁判官  弁護人のご意見は。
    弁護人  ありません。被告人と同じです。
    裁判官  被告人はもとの椅子に戻りなさい。これから証拠調べに入りますので,検察官,冒頭陳述と証拠請求をして下さい。
    検察官  検察官が証拠によって証明しようとする事実は次のとおりです。被告人は○町で出生し,地元の中学校を卒業後,父とともに鉄筋工などをしていたが,平成8年10月ごろより仕事をやめて母とともに現住所に居住している。被告人は,パチンコ店内で,見知らぬ男に声をかけられ,8000円貸してくれと頼まれた。翌日,お礼として液体入りの注射器1本をもらい,それが覚醒剤であることを知り同日被告人方において使用したものである。さらに,同日深夜,友人に誘われて修理工場に侵入し,車のエンブレムを盗んだため,現行犯逮捕された。取り調べ中,挙動不審のため本人の同意のもと両腕を確認したところ注射痕を認めた。そこで問いただしたところ,覚醒剤の使用を認め,犯行が発覚したものである。以上の事実を立証するため,証拠等関係カード甲乙記載の各証拠の取り調べを請求いたします。

    (2) 自分とのかかわりを通して問題意識を高める工夫
     裁判に積極的に参加する工夫
     「起訴状一本主義」について触れ,傍聴者が裁判官とほぼ同じ条件であることに気付かせ,自らが裁判官として裁判に臨むつもりで積極的に傍聴させるようにした。被告人が真実を述べているのか,本当に反省しているのか,もう二度と薬物に手を出さないと言うが本当かなど,判断するのは生徒一人一人であり最後まで真剣に傍聴していた。
     意見表明の場の設定
     弁論終結後傍聴者に,検察官と弁護人のどちらの意見に賛成か,挙手で態度を表明してもらい,判決の参考とした。結果は,検察官の意見に賛成する生徒が圧倒的に多かった。その後,直ちに下された判決も検察官の主張が全面的に認められた内容のものであった。この場面には,裁判が傍聴していた生徒たちにどのように理解されたかを検証するという意味もある。真実を確定し,刑を決めることがどんなに大変なことか分かった気がすると感想を述べた生徒も多かった。

    資料11 傍聴ノート
    資料11 傍聴ノート


    資料12 模擬裁判を担当した生徒の感想
    • 裁判官の役を担当した生徒の感想
       裁判を傍聴しに行った時,自分の思っていた裁判とは全く違う印象を受け,また,裁判官のアットホーム的なところを見て,裁判官をやってみたいと思った。資料を作成するに当たって,生まれて初めて六法全書を手にした。開いてみたが,すぐに閉じてしまいたくなるような小さな文字でたくさんの条文が並んでいた。台詞 を見ながらでないと順番も何も分からない状態で本番になってしまった。とても緊張した。しかし,やっぱり裁判官をやって良かったと思う。ちょっとだけ裁判官の仕事にあこがれを持てたことがうれしく思うし,普通なら絶対に人を裁くなんてできないことなのに,模擬裁判の単なる役だけど,懲役を考えるのはとても迷った。高校生活の中でも貴重な体験をすることができて,良かったと思っている。
    • 検察官の役を担当した生徒の感想
       検察官をやってみて思ったことは,「すごいなぁ」ということだった。私は,ほとんど先生に手順を聞きながらやったけど,なかなか大変だった。検察官は,あれだけのことをやってしまうのだと感心してしまった。実際に見てきた裁判に比べると,迫力に欠けたけど,みんな一生懸命頑張れたと思うので,良かった。私も頑張ったけど,途中で笑ったりしてしまった。一番気をつけたことは,証人・被告人への尋問の時にちょっと厳しい口調で質問したことだったけど,それが聞いていた人たちにわかったかどうかはわからない。とても心に残った一日でした。
     裁判所に対するイメージの変化
     事前アンケートとの比較では,裁判傍聴,模擬裁判実施前は,裁判所が自分たちには縁遠い存在であって,そのイメージは「暗い,怖い,厳しい」場所というものであった。それが実施後は,61%の生徒が自分に関係ある(将来あるかもしれない)としており,身近に感じ始めていることが分かる。イメージも「静か,公正,厳しい」場所と変化し,漠然としたイメージから単に恐れるというものではなくなっている。さらに,裁判所を見学や傍聴に訪れてみたいという者が80%を超え,関心の高まりを知ることができた。

    資料13 アンケートの結果
      裁判所のイメージ 傍聴できると知っていますか 裁判所に見学・傍聴に行きたいですか 裁判所は自分に関係あると思いますか
    実施前
    暗い 怖い 厳しい
    (29.2%) (18.5%) (13.8%)
    はい いいえ はい いいえ はい いいえ
    32.8% 67.2% 15.6% 84.4% 7.8% 92.2%
    実施後
    静か 公正 厳しい
    (23.0%) (15.4%) (10.8%)
    はい いいえ はい いいえ はい いいえ
    100% 0% 80.6% 19.4% 61.0% 39.0%
    (3) 社会的事象のもつ意味を問い続けることができるようにする工夫
     疑問や質問を発表する場の設定
     裁判傍聴の中でいだいた疑問や質問を発表する場を設け,理解の深化を図ると同時に,疑問をいだくことの重要性に気付かせるようにした。模擬裁判終了後,裁判官役の生徒が傍聴者からの質問を受け付けたところ,@裁判を誰でも傍聴できるのはなぜですか,A裁判での弁護人の役割は何ですか,B裁判官が裁判で気を付けていることは何ですか,という3つの質問が出され,これらについて,弁護人役の生徒と裁判官役の生徒が,各人の体験と自分なりの考えに基づく,しっかりとした応答をしていた。この質疑応答を聞いた生徒に,より裁判が分かった気がするという感想を述べる生徒がおり,理解の深化につながっていることが分かる。
     新たな問題を追究する場の設定
     裁判傍聴の過程でいだいた疑問や興味・関心をもった事項について調べ,発表する時間を設けた。調べる内容の似ている者同士で班を編成し,グループで調べたりお互いに考え合ったりできるようにした。主な事項としては,刑事事件と民事事件の違い,黙秘権,人権保障,覚醒剤取締法,法律について,被告人の人権についてなどが挙げられた。
    (4) まとめ
     今回の授業で生徒たちは,裁判所を単なる思い込みや漠然としたイメージだけでとらえるのではなく,その役割や仕組みについて具体的に理解できたようである。授業実施後に行ったアンケートによれば,裁判所のイメージが「静か,公正,厳しい」と的確なイメージヘと変化してきていることが分かる。また,裁判所が人権保障の重要な機関であるという認識も,ほとんどの生徒がもったようである。
     作業的・体験的な学習は,生徒のもっ興味や関心を引き出し問題意識を高める効果をもっており,何かと制約の多い授業の中にこうした学習を取り入れるのには困難を伴うが,今後も積極的に取り入れていきたいと考えている。また,「問い続ける」態度や力を伸ばすために,体験や作業の過程でいだいた疑問や興味を膨らますことができる授業を工夫することが,今後ますます大切になって行くものと思われる。

社会・地理歴史・公民科目次