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子供がこだわりや切実感をもって,自分なりの問題を追究できるような学習過程の工夫
第1時の「現代の私たちの家族の生活カレンダーと江戸時代の生活カレンダーを作ろう。」の活動でのM子のテーマは,「江戸時代の子供の一週間の生活と今の生活」である。カレンダーを作り終えたM子は,「江戸時代には学校はなく,寺子屋も週に二回ぐらいで,ほとんど毎日遊んでいる。今はそれに比べ,学校が終わると習いごとに行き,とても忙しいし疲れるから,江戸時代の方がよかったと思う。」と感想を書いた。そこで,「なぜ今はみんな学校へ行かなくてはならなくなったのか。」という問いを基に,仮説検証的な調べを進めていった。明治政府は義務教育の制度を作り,全国に学校を建てたが,授業料が高すぎるため農民の間で学制反対の一揆が起こり,学校が焼かれたりしたという事実を知ったM子は,「農民が反対した理由は,授業料の負担だけではなく,何か他にも原因があるのではないか。学校に行った人数を調べれば,何か原因が分かるかもしれない。」というように問いを深め,調べを進めていった。
F男は,「百姓一揆や打ちこわし」というテーマで,江戸時代と明治時代の一揆や打ちこわしの数をグラフにまとめていった。「日本が江戸時代から明治時代に変わり,幕府の時代から朝廷の時代になったら,百姓一揆や打ちこわしの数が減ってきた。これは農民の税が安くなってきて,生活が楽になったからだろう。」と感想を書いている。人々のくらしを左右するものは税金だという考えをもっているF男は,地租改正法について調べを進めた。しかし,「ぼくの予想は全く違っていた。地租改正法が定められたが,税の負担は江戸時代と変わらず,時にはそれを上回っていた。」という結論に達してしまった。そこで,「一揆や打ちこわしは減っていったのだから,政府は国民のくらしをよくするために,何か別の改革を行なってきたはずだ。」と問いを深め,さらに調べを進めていった。 |
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感性を触発し,自分なりの見方や考え方が深まるような聞き取り調査や模擬体験的な活動
資料1 T男の感想文
T男は,第5時において,加波山事件を起こした元士族である冨松正安らの立場から,人々の悩みや苦労を調べていった。T男たちは,初め雨引山に立てこもろうとした志士たちが,途中で加波山に変更していることに気付き,その謎を探るために加波山に登山する計画を立てた。何十キロという爆裂弾を背負い,雨の降る中を道なき道を登って行った志士たちの思いを模擬体験することで,当時の様子を十分イメージすることができたと,T男は資料1の感想文に書いている。
I男は,真壁郡の地租改正の反対一揆の農民の悩みや苦労を調べた。実際に真壁町の歴史民俗資料館の学芸員さんに話を聞いたり,一揆を起こした場所に足を運び,当時の様子を想像したりして,実感として農民の思いを考えることができた。 |
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子供同士の相互交流による影響の及ぼし合いの予想と支援
ポスターセッションの様子
M子は,第6,7時の調べ学習において,「男子よりも女子の方が学校へ行っていないことが分かった。それは,農家にとって女子は,学校の勉強よりも家事が優先され,親は働き手がいなくなると困ったからだろう。男子についても同様に家の重要な働き手だったに違いない。」とし,「その日の生活も苦しい農民にとって,義務教育で学費を払わなければ牢屋に入れられるという現実は,生きているうちの地獄ではなかったかと思う。」とまとめている。M子の感性のタイプはBタイプ(感情中核タイプ)であり,第1時の生活カレンダーを作ったときのAタイプ(感覚中核タイプ)からは,歴史的事象に対する見方や考え方に深まりを見せている。
また,F男は,「新しい世の中をつくるには,国民が一斉に幸せになることは無理だから,多少の犠牲は仕方のないことだ。政府は,当然農民のことも十分考えているのだから,少しがまんをしなくてはいけない。」とまとめている。第1時と同じDタイプ(論理中心タイプ)である。
ポスターセッションによって,M子はF男にかかわり合いをもった。M子は,政府の立場や考えを聞き,理解はしながらも,「もっと農民の実際の生活を考えてほしい。自由にしてほしい。」と自分の見方を一層深めることができた。F男は,学制に反対するのは農民の教育に対する関心が低いためだと考えていたが,M子の主張する農民たちの切迫した生活や,やり場のない悩みを聞き,「農民の苦しい立場はよく分かる。何とか解決して,一揆のない日本になるよう一緒にがんばろう。」と感想をもち,感情タイプの見方も自分に取り入れることができた。 |
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感性を通して高まった見方や考え方をコラムへ表現する活動
資料2 S男のコラム
ポスターセッションで,Bタイプ(感情中核タイプ)のS男は,Dタイプ(論理中心タイプ)のY男とかかわり合いをもった。様々な改革を人を魅了する力で進めた西郷隆盛の生き方に共感しているS男は,「大久保利通は思ったことはどんなことでも実行に移す冷酷な人間ではないのかと思っていたが,政府が先頭に立ってどんどん改革を進めていくためにはそんな考え方も分からなくはない。」と感想をもち,自分の見方や考え方に広がりを見せた。そして,「二人は生まれるのがもっと遅ければ,対立する事なく仲良く政治を行っていたに違いない。それは,国民一人一人が政治を行うという考えをもてたからだ。」と,資料2のコラムに自分の考えを書いている。客観的な認識だけではなく,時代の中で精一杯生きた人物の思いや願いにふれることができたと考える。 |
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今後の課題
子供一人一人の歴史的事象のこだわりを感性や論理へ翻訳するタイプを,子供の認知スタイルの一つとしてさらに具体化,詳細化したい。そして,個々の学び方を明らかにしながら,歴史的な認識を深める効果的なかかわり合いについて,その方法や支援のあり方を究明していきたい。 |