第14 まとめと提言/これからの教育課程の在り方
 
 なぜ教育改革なのか背景を知る一つの視点
 【地方分権推進という発想の奥にあるnational minimum*という概念】
*national minimum:国家が国民に対して保証する最低限の生活水準。英国のウエッブ夫妻により提唱された概念。一般的にナショナルミニマムが達成されてしまうと行政需要は多様化し,既存の枠組みでは行政需要に対する行政サービスの供給が低下する。
 戦後の日本は高度経済成長期を経て,既にナショナルミニマムを達成した。こういう状況下では多様化した行政需要に対して,行政サービスの供給が低下しがちであり,基本的な考え方の枠組みを転換し(パラダイム:paradigm*の転換),需要に対処する必要が生じる。そして,このことは教育行政においても例外ではないという視点がある。
*paradigm:ある時代に支配的な物の考え方,認識の枠組み
 
提言
 教育課程の在り方においては,地域の実態に即した特色ある学校づくりを通して,画一的な編成からのパラダイム転換を図り,多様な需要に対する柔軟できめ細かな教育を供給することが必要であると考えられる。
 
 地方分権推進法(5年間の時限立法),(1995/6)の成立と教育課程
 【地方分権推進委員会(1995/7)勧告→「教育行政分野も改革対象の例外とはしない」】
地方分権推進委員会勧告
 これまでの国が統制していた行政サービスでは,まかないきれない行政需要に対して地域の実状に応じた独自のきめ細かな行政サービスの展開を期待している訳であり,この地方分権の推進と教育改革の流れのなかで(特に,文部省→教育委員会→学校長へという)権限の委譲が伴うことになる。学校(長)は権限が増大した分だけ以前にも増して学校運営等の義務も拡大することになり,情報の開示,説明責任(アカウンタビリティー)が重要視されることになる。
 
 地方分権推進法と教育改革との関連
地方分権推進法と教育改革との関連
 
 国際比較からみた日本の教育を取り巻く状況認識と知離れへの危惧
 平成11年度全国教育研究所連盟「総合的な学習等」研究協議会資料より(H.11.7.14)
 これまでの日本の学力水準は毎回上位を占めてきた。数学(中学校2年)1位:シンガポール,2位:韓国,3位:日本。理科(中学校2年)1位:シンガポール,2位:チェコ,3位:日本。(IEA調査,国立教育研究所1997年資料)また,理科が好きな割合は小学校4年で8位(調査:17か国),中学校2年生では最下位であった。(IEA調査)さらに,「理科は生活の中で大切と考える生徒の割合」と「科学を使う仕事をしたいと考えている生徒の割合」の相関(R=0.859)は他国に比べ極めて低いことも指摘されている。(IEA調査,日本物理学会1998-2号)この点を一般市民の意識で比較しても,科学技術について日本の一般市民の知識は低く,科学技術・科学の新しい発見への関心も国際的に比較して最下位であった。(OECD調査,日本物理学会1998-2号)変化の激しい社会の影響の一つとして,一般市民の科学離れが子どもに影響しているのではないかとの指摘もあった。
 一方,日本の小学生の自己評価は「勉強ができること」「人気があること」「正直なこと」などで他国より極めて低く,自尊感情も低いことが指摘されている。(ベネッセ教育研究所1997年資料)日本では,親が子どもの「よさ」を見いだしたり,伸ばしたりする傾向が低く,しかも自分の子供の成長にあまり満足感を持っていない状況がある。(文部省1993年資料)
 さらに,アメリカ,中国,日本の高校生で規範意識を比較すると日本の高校生は「先生に反抗する」「親に反抗する」「学校をずる休みする」ことを,生徒本人の自由でよいと回答している割合が突出しており,自由の履き違えによる規範意識の低下が見られ(日本青少年研究所1996年資料)社会に対しては満足感を持っていず,「不満」「やや不満」と意識しているものが6割に近い(総務庁1993年資料)ことも指摘された。
 中央教育審議会は第1次答申第3部,第4章[1]科学技術の発展と教育,自然科学の視点(平成8年7月19日)において,【人間の知的創造力が最大の資源である】我が国にとって、諸外国以上に、科学技術の発展は重要である。少なくとも小・中学校の段階では、「理科」に対する興味や関心が、低下しているという「理科離れ」といった現象は明確ではなく、むしろ、【子供たちが学問的あるいは知的な関心を持って問題を真剣に考える姿勢が希薄になっている】という「知離れ」といった現象が生じてきており、それが「理科離れ」として指摘されているのではないかと考えている。【「知離れ」こそが、我が国の子供たちの教育を考えるに当たって極めて重大な問題である。】と言及しており,これからの教育課程の在り方を考える上で外すことのできない視点である。
 
提言
 教育課程の編成を通して学校の特色を出す際には,これまでに累積,継承してきた学力水準や学校文化の維持,発展を基礎とする。また,保護者の公教育への満足感を膨らませる視点や,児童生徒の規範意識・自尊感情を高揚させ,学問的あるいは知的な関心を持って真剣にものごとを考える姿勢を育むことで「知離れ」を是正する視点を持つことも大切である。
 
 戦後三つの教育実践の反省と「教科書のない方法」への危惧
*1 高久清吉
 筑波大学・茨城大学名誉教授 常磐大学教授 茨城教育実践学会会長 茨城県教育研修センター初代所長
 以下5〜8中の【 】内は,「自ら学び自ら考える力」を育てる方法原理―「総合的な学習の時間」の実践課題―
 教育実践学研究 第3号 別刷pp.1-12(1999年3月31日 茨城教育実践学会)からの引用
 
 戦後三つの教育実践とは,@昭和20年代前半,教科「新生社会科」A昭和30年代前半小・中学校において特設されたの「道徳の授業」B昭和50年代に脚光を浴びて登場した20年前の「ゆとりの時間」あるいは「自由裁量時間」の運営である。高久清吉氏*1は,それぞれの時代の目玉商品的であった三者と,今般の新教育課程の目玉商品的にあたる「総合的な学習の時間」がともに「教科書のない方法」による指導を求めている点から,総合的な学習の時間がやがては本来の趣旨から離れ,変質や衰退という二の舞を演じることにならないかとの危惧を表明している。
 
 「教科書のない方法」と教育課程との関連
 【「教科書のない方法」】の実践においては,教育課程の中で【学習内容や活動をどのような順序で取り上げるかを教師自身が決めなければならず,それが一方では子供の生活活動や学習活動に適合し,他方では,年間計画としての系統性や一貫性をもったものになっているという必要がある】。従って,このような性格を持つ教育課程の作成には非常に程度の高い教師の力量が必要とされるとしている。
 さらに,教科書のない方法である「総合的な学習の時間」の内容は,児童生徒の実態に応じて展開されなければならない。つまり,一度確定したら,毎年度同じパターンで展開したのでは児童生徒の実態から離れる危険性をはらんでいる。従って,この教科書のない方法である「総合的な学習の時間」には,少なくとも入学年度ごとに児童生徒の実態を把握して,それに応じて適応できる柔軟性や機能性を持たせたいものである。
 先進的な実践校の事例を見ても,生きる力の構造化を背景にした各学年進行に伴う順序性・統一性・一貫性には残念ながら厚みが不足している。柔軟性・機能性に至っては,発想や視点としての欠如も見られ,今後の教育課程研究の重要な観点であると指摘しておきたい。
 
提言
 「総合的な学習の時間」には,少なくとも入学生ごとに実態を把握し,児童生徒の興味・関心に合わせてこの時間への入り口が変えられるような柔軟な構造を持たせることが重要である。一度設定し,毎年度同じ内容をくり返すのでは,はい回る経験学習へ向かう可能性が大きくなると考えられる。
 
提言
 「教科書のない方法」を創りあげるには,教師間の前向きな議論,意見交換,着想を出し合う場が不可欠である。そのためには,教職員の協働作業意識を高める校内研修の充実や発言を促す校長の適切なリーダーシップの発揮が必要である。
 
 「教科書のない方法」と教師の力量
 「総合的な学習の時間」の構想を教職員の協働体制で練り上げる体験が,児童生徒の「総合的な学習の時間」を指導・支援する上での教師の学習になる。とにかく学校の主体的,自律的な工夫と研究に任されているということを積極的に受けとめるべきである。
 「総合的な学習の時間」を成立させるためには,二つの問題がある。一つは,基礎・基本となるそれまでの学習成果がきちんと身に付き,整理されていること。そのためには,普段の授業をきちんと成立させ,基礎・基本の力を定着させる指導技術が必要であり,学級全体を掌握しながら,一人一人を理解する教師の技術(教師の力量)が必要である。
 児童生徒にとって,基礎・基本の力がなければ「総合的な学習の時間」が成立しないのと同じように,教師にとっては教師本来の力量がなければ総合的な学習時間は設定できないのである。「生徒に任せる」ためには,教師の力量が必要であることを認識しておくことが大切である。
 「教科書のない方法」をこなす教師の力量については,【戦後,教師によって相当程度マスターされ教育界に定着したという考えから40年前の「道徳の時間」,20年前の「ゆとりの時間」の二の舞は踏まないだろうという考えと,もうひとつは,依然として「教科書のない方法」は教師たちによってこなし切れておらず,むしろ教育界を挙げてこの種の方法の摂取に挑戦した昭和20年代の新教育運動の時期に比べて衰退しているという考えの二つがある。現在の教師間では,この方法について習熟度の開きがはるかに大きくなっているのは間違いない。「教科書のある方法」でも,子供の自主的・自発的な活動は欠かせないが,「教科書のない方法」が主となる領域の教育ではなお以上にいつでもこの活動が大きく全面へ出なければならない。子供の自主的・自発的な活動がいつでも高い程度で展開することは,教科書のない方法が成り立つための絶対条件である。】
 第15期中教審第一次答申で「学習の過程を大切にする」ことが繰り返し述べられているのは「生きる力」としての「自ら学び自ら考える力」の育成が格別に重視されているからである。【「プロセス重視」の偏りについて「はい回る経験学習」という批判を考えることで,今後取り組む「総合的な学習の時間」の運営について極めて重要な押さえどころを浮き彫りにすると指摘している。「はい回る経験学習」というのは,昭和20年代の新教育としての授業・学習の特色と弱点とを表現している。「経験学習」とは学習者の興味・関心に基づき,その生活経験と密着して,特に問題解決に主体的に取り組む活発な自己活動を中心として展開する学習である。「はい回る」とは学習の質的レベルの高まりや深まりがなく,いつも同じレベルやパターンの学習活動を常とう的に繰り返すにとどまることである。「はい回る」,すなわち,学習の質的レベルの向上や深化がないということの一番重要な意味は,目指す内容の効果的な習得がない,あるいは弱いということである。昭和20年代の「プロセスを大切にする」は学習者の方にだけ目を向けて,その自己活動や問題解決活動の重視にだけ偏り過ぎ,もう一つ,あるべき学習のプロセスに不可欠な内容習得を軽視または無視する結果となった。このことは「昭和20年代の新教育運動華やかな時代に主張された「学習プロセスの重視」が,「学習者」の自己活動のみを一面的に強調してこれを自己目的化し,「学習内容」の効果的習得を大きく後退させる甚だしいゆがみを引き起こした。】
 
 「はい回る経験学習」を回避する3つの視点
 第15期中教審第一次答申では「生きる力」としての「自ら学び自ら考える力」の育成を格別に重視し,今後の指導方針上の重要課題として「学習の過程を大切にする」ことを繰り返し述べている。このような状況下で,「総合的な学習の時間」を「はい回る経験学習」に陥らせないためには次の3つの視点が重要である。
(1)  「生きる力」の構造化の必要性
 一つ目として,【教育課程の中では教師自身が決める学習内容や活動が年間計画としての系統性や一貫性をもったものになっている必要があり】,教育課程の具体的な評価につなげるためにも「生きる力」の構造化が必要である。
 小学校,中学校,高等学校を通して「総合的な学習の時間」ではぐくむべき学習内容を系統性や一貫性をもって年間計画に配置し,学習の質的レベルの高まりや深まりをもたせることができれば,【いつも同じレベルやパターンの学習活動を常とう的に繰り返すことにとどまる】「はい回る」という状態を回避できると考えられる。教育課程の中に系統性や一貫性をもたせながら,意図的に配置する学習内容は,「児童生徒の思いや願い」を取捨選択したうえで構造化し,指導者側の教育課程創造への理念に添って設定すべきある。
(2)  「児童生徒の思いや願いを生かすこと」と「内容の効果的習得を進めること」
 教育課程編成のための意識実態調査の扱い方の二つ目は,現行の教育の中で教師が身に付けている「児童生徒の思いや願いを生かす働きかけ」と,「学習者の自己活動」のみを一面的に強調してこれを自己目的化せずに「学習内容」の効果的習得を進めるという働きかけとの均衡が重要になる。
 「総合的な学習の時間」の教育活動の前提として【「地域や学校,児童生徒の実態に応じている」ことや,「創意工夫を生かしたもの」(小学校学習指導要領第1章第3款1,中学校学習指導要領第1章第4款1,高等学校学習指導要領第1章第4款1)】が求められているので,各学校は地域や学校,児童生徒の実態把握を行い移行期にかけて教育課程の編成準備を開始する傾向にある。小・中学校,高等学校,特殊教育諸学校の合計379校の新任教務主任配置校において78.7%の学校が教育課程編成のための何らかの意識実態調査を予定している実態が分かった。
表8 教育課程編成のための意識実態調査の予定
 地域,保護者,児童生徒が学校に何を期待しているかを実態調査等で把握する目的は,【学習者の興味・関心に基づき,その生活経験と密着して,特に問題解決に主体的に取り組む活発な自己活動を中心として展開する学習】の内容を構築するために必要なヒントがその中に含まれているからである。
 従って,各学校は調査の集計結果を短絡的に編成作業に取り入れて,展開を急ぐのではなく,十分な分析,検討を加えて「総合的な学習の時間」の設定に利用していく姿勢が大切である。分析,検討の過程では,校長のリーダーシップのもと,教師間の忌憚のない意見交換や議論を経ることが大切である。こういう過程を経て到達した共通理解を基盤に教職員が一丸となって協働作業に関われるかが,移行期の学校に問われれている。
 この教育課程編成への過程を重視することは「教科書のない方法」の運営にあたって,高久清吉氏が危惧している【子供の自主的自発的な活動がいつでも高い程度で展開できるかどうか】,【取り組む教師間の習熟度の開きを是正できるかどうか】,【「学習の過程を大切にする」ことへの偏りはどうか】,などを熟慮する機会になり,編成の過程で教師の力量が高まる契機となる。従って,実態調査の実施・調査結果の分析・検討の過程は移行期間中の重要な協働作業といえる。
 これを「児童生徒の思いや願いを生かす」視点から進めることは,児童生徒の自主的・自発的な活動を引き出す学習内容を見いだせる可能性を持つ。
 しかし,児童生徒と教師の人権は同じ尺度で測れても,社会的存在としてよりよく実在することについては,成熟した社会人を目指している児童生徒と成熟した社会人である教師とでは同じスケールは使えない。この認識は重要であり,当然ながら意識実態調査から見えきた「児童生徒の思いや願い」が,そのまま「生きる力」をはぐくむために学校側で意図的計画的に用意する適当な学習内容と対応しているなどと錯覚してはならない。児童生徒は社会的存在としてはまだまだ経験が不足しているのである。その点において,教師側が適切に学習内容を配置し,導くという姿勢を怠ってはならないのである。
(3)  教育課程の編成過程を重視し,教師の力量を高める組織作り
 三つ目として,編成組織の確立やその組織の校務分掌上への位置づけが校長にとって重要になってくる。教務部が中心となり,学年,教科等と連携しながら既存の組織を生かして編成に携わる例やプロジェクトチーム型の組織を創設して編成に当たる例などがあるが,いずれの場合にも,環境を設定し,全教職員の共通理解を図り,協働作業として編成に当たることが重要となる。
 校長のリーダーシップのもと教育課程の意義,編成作業内容・手順・計画,などについて,一人一人の教師が編成の主体として十分な意見交換ができるような環境を作ることが必要である。
 パラダイムの転換という視点からは既存の価値観に必要以上に拘束されないプロジェクトチーム型組織が柔軟なアイディアを引き出しやすい。奈良県立高田高等学校での平成6年(1994),平成7年(1995)文部省・県教育委員会指定「生徒の能力,興味関心に応じて多様な選択科目が履修できるようにするための教育課程の編成・実施上の工夫」の研究では,「その他特に必要とする教科」として「探究科」(4科目:「環境学」,「福祉と共生」,「海外事情」,「やまと学」)を設置し,@生徒の主体的な選択を重視した教育 A人間としての在り方・生き方に関する教育 B個に応じた指導 C自己教育力を目指した。
 この時,校長のリーダーシップにより教務部や学年,教科会の枠組みを越えたプロジェクトチーム(校務分掌上は役職についていない比較的若いスタッフを中心にしたもの)を組織しこの組織を動かして現在の職員構成で何ができるかを検討させている。特に,小・中学校及び高等学校において,教科等の既存の枠組みを越えて巨視的に教育課程の編成を進めるには,「自由な意見交換を保障すること」が何より大切である。そのための組織作りと校務分掌中への位置付け等,路線をどのように引いておくかは,学校長に期待されている。
 
提言
 教師の意識の問題として,最先端の実践をしたがること,方法論技術論に偏りがちであること,華美な発表至上主義に陥りやすいことがある。そして,実践を振り返った時,児童生徒がどう成長したかの検証を忘れて時代の波に乗っているだけの授業をつくってしまう可能性もある。
 指導要領の総則に,「総合的な学習の時間」の取り扱いについて「各学校は,地域や学校,児童(生徒)の実態等に応じて」とあるのは,重大である。教師の陥りやすい意識を認識し,この文言を生かすことが,「総合的な学習の時間」の成功の第一歩である。
 
提言
 「児童生徒の思いや願い」と教育課程編成上のねらいは必ずしも一致しないこともあるという視点に立ち,意識実態調査の処理を進める。意識実態調査は児童生徒の興味・関心がどこにあるかを把握して,「総合的な学習の時間」への入り口を決めるにはよいが,短絡的な迎合で終始すれば,知力低下の入り口となるおそれがある。
 
 基礎・基本に還る総合的な学習
 「総合的な学習の時間」について,学習して身に付けた知識や技能を児童生徒の中で総合化することをねらうべきだということを提言した。そのためには,この時間の課題の設定の仕方によっては,教科や領域の年間指導計画を変更する必要も生じて来ることを覚悟しなければならないだろうし,この時間を目指して,教科・領域等の学習が用意される必要がある。このことは,教育課程審議会の提言でも触れられている。
 学習の深化・統合という視点に立つと,さらに「総合的な学習の時間」における体験から,基礎・基本にもどるという面が取り上げられなければならない。つまり,学んだことを活用し,「総合的な学習の時間」のひとまとまりの学習を体験した結果として,自分自身の基礎的・基本的な知識・技能等の実際を評価し,不足や課題をとらえ,それを以て教科・領域等の学習の在り方に還るということである。
図9 基礎・基本に還る総合的な学習
 教科・領域等の学習で身に付け学力を土台とし,「総合的な学習の時間」に取り組み,それまでに身につけた知識や技能等のネットワーク化を図るともに,「総合的な学習の時間」の学習体験から,知識や技能の習得の在り方の課題を捉え,それを教科・領域等の学習の仕方に還元する,この循環が出来上がる時,「総合的な学習の時間」のもう一方の大きなねらい「学び方やものの考え方」が学び取られることになり,自己教育力が育てられることになるのではないだろうか。
 少なくとも,これまでの「学校裁量の時間」「ゆとりの時間」の実践が,お祭りのような行事を作り上げ,その体験だけを成果として終わってしまうのに比べれば,この循環を伏線に置いた「総合的な学習の時間」は,一人一人の学びの姿に迫り得る学習になるものと思われる。人間にとって最も関心のあるものは,自分自身である。この視点を大切にして,自分の成長に喜びを見出せる学習を作り上げたい。
 
提言
 新しい学習指導要領は,かなり多くの運用を学校の裁量に委ねている。こういう時に必要なことは,技術論・方法論に振り回されることなく,教育原理・学習心理の根本を踏まえ,「児童生徒の成長保障」に基盤を置いたカリキュラムを考えることが大切である。方法や技術は,子どもが「人間として確かに伸びて育つこと」をめざすなかで求められるべきであろう。
 
10  相互補完の機能を高める循環する「考え方」
 「総合的な学習の時間」と他の学習内容との相互補完の機能を高めるには,教師側から児童生徒へ「考えることへの習慣付け」があり,「総合的な学習の時間」において以下に示すような循環する「考え方」が成立することが大切である。少なくとも,「総合的な学習の時間」の入り口において,この循環する「考え方」が成立していれば,単にイベントを展開しただけという時間は無くなり,教科書のない学習は深まるはずである。そして,この考え方を別の学習活動に転化していくように導くことが,教育課程の運営において教科書のない方法である「総合的な学習の時間」を生かすことになる。
 児童生徒の気付きや興味・関心を把握し,「総合的な学習の時間」の学習内容の入り口とする。「総合的な学習の時間」以外の別の学習活動に基づく興味・関心からここに入る場合もある。
図9 基礎・基本に還る総合的な学習
 また,「総合的な学習の時間」の機能を重視することは,各教科指導,領域,教育相談,特殊教育での研究内容の統合,総合化をも示唆する。
 巨視的な視点から「生きる力」を捉え,「総合的な学習の時間」の研究をこれまでの各研究分野の間をつなぎ,満たしていくものと見れば,各学校におけるこの時間の研究もまた,これまで累積してきた個々の研究を点から線,線から面,・・・へと関連させ,大きな枠組みで扱う時の機能となることを示唆している。
 「総合的な学習の時間」は教育課程に位置付ける一つの内容でありながら,新学習指導要領では各教科・道徳・特別活動に加えて第4の領域とはせずに総則の中で示しているのは,「総合的な学習の時間」が他と比較して異なる性格を持つからである。その性格は,この時間の展開が各学校の創意工夫に委ねられ,国が目標や内容等を示さないということである。つまり,全国の多様な実態に応じて,この時間の枠内で各学校が多様な内容を展開しても「機能」性が高いために教育課程における共通の効果が期待できるのである。
 
11  これからの教育課程編成作業の一例
図10 移行期を踏まえたこれからの教育課程編成の見通し

幼稚園:平成12年から,小学校・中学校:平成14年から,盲・聾・養護学校:各部ごに実施。高等学校は平成15年から学年進行で実施する。
 
提言
 「総合的な学習の時間」は,今回の指導要領改訂の目玉であるが,教育課程編成の目玉ではない。「総合的な学習の時間」は教育課程全体の一部である。編成の中核は,あくまでも学習内容としての基礎・基本であって,「総合的な学習の時間」はその中に染み込んで機能する潤滑油と考えてはどうか。もう少し踏み込むとしたら,基礎・基本の確実な定着と,基礎・基本を生きた力とするための方策として「総合的な学習の時間」を位置付けるのが妥当であろう。
 新学習指導要領では「総合的な学習の時間」を各教科・道徳・特別活動に加えて第4の領域とはせずに総則に置いている。これは,この時間の展開が各学校の創意工夫に委ねられ,国が目標や内容等を示さないからである。つまり,全国の多様な実態に応じて,この時間の枠内で各学校が多様な内容を展開しても「機能」性が高いために教育課程における共通の効果が期待できるためであろう。
図11 教育課程編成作業の流れ
図12 「産業社会と人間」の学習内容を「総合的な学習の時間」を設定する過程で活用する例
 
12  教育課程編成における選択制の抱える「影」
 多様な選択教科・科目を設けても,それを選択する生徒の能力が現状のままであっては,結局は従来の教育課程と違いのないものになってしまう。多様な選択の機会を供給することと同時に,人間探究の視点から生き方を考えさせ,選択能力を高めるという発想を持つことも大切である。
 これまでの教育を経て累積してきた生徒の学力を低下させることなく,増進させる必要がある。特に中学校では大幅な選択履修が可能になるが,生徒が自ら学習課題を設定していくことの影の部分も理解する必要がある。影の部分を知ったうえで教育課程の編成に臨むことが改革の趣旨を活かすことにつながる。
 東京大学大学院教育学研究科教授(教育社会学・比較教育学)藤田英典(ふじたひでのり)氏は,日本で1970年代に教育関係者が頻繁に言及したり,論文に引用したりと教育の理想であるかのように紹介した,アメリカ合衆国で1960年代から1970年代に試みられた「パークウエイプログラム」という「校舎の無い学校]での選択制の大幅導入の失敗例を提示している。映画ロッキーの舞台にもなったフィラデルフィアのパークウエイという所で病院や工場などの市内の様々な施設を職業関連の教育の場として借用しながら,英語,数学などの教科は建物だけを幾つか確保しておいてそこで授業を展開するということをやった。そこでの子どもたちは自由にカリキュラムを選択し,自由で伸び伸びしていると宣伝された。
 しかし,最盛期には6校あった学校が2校閉鎖されている。そこのカリキュラム中の科目数は何と604科目あり,子どもたちは何を選択したらよいのか分からなかった。ましてそれを系統的に選択することなど至難の業に近いことだった。アメリカの場合にはガイダンスカウンセラーが約100人の子どもを受け持ち,入学から卒業まで4年間に渡って授業のとり方から進路の選定まで丹念に面倒を見るのだが,それをやってさえも子どもたちが【選択する科目はどんどん安易な方向,楽な方向へ流れていき,その結果,選択した科目が就職に役に立つかというと必ずしもそうではない状況ができあがっていった。(藤田英典氏)】また,【学力が身に付いていったかというとそうでもなかった。(藤田英典氏)】結果的には「パークウエイプログラム」は批判され,もっと基礎・基本に戻って肝心なことをきちんとやる方がよいという方向にアメリカでは1980年代には動いてきた。
 これらのことは,今の教育改革の中で展開しようとしている選択制における課題を示唆している。つまり,将来の夢や進路を考えて多少苦労して勉強するような選択よりも,安易な目前の価値観で学習する選択へと,楽な方向へ流れる可能性を含んでいるということである。この選択制の影の部分に光をあてるものは,「総合的な学習の時間」の学習内容や「産業社会と人間」という科目の中にありそうである。(今までの学校の教育活動でも継続的に実践してきたことではあるが)将来への夢をふくらませ,進路をひたむきに考え自分自身の生き方を考察する中で『社会的存在としてよりよく実在する』ために適切な選択ができるようにすべきである。
 また,高等学校の学習指導要領では,学校設定教科に関する科目として位置付た「産業社会と人間」という科目の特徴を,自己の在り方生き方や進路についての考察を深め,自らの進路等に応じて適切な教科・科目を選択する能力を育成する学習にあるとしている。そして,これからの高等学校においては,この科目を総合学科だけではなく,どの学科でも重要な意義を有するという判断から,学校設定教科に関する科目としている。
 この視点は,実は高等学校だけではなく選択履修幅が拡大する中学校においても,自己の在り方生き方について考えさせながら,社会に積極的に寄与し,生涯にわたって学習に取り組む意欲や態度を養うことや生徒が自己の進路を踏まえて,主体的に教科・科目を選択できるように,生徒の自発的な活動を重視した学習方法を含めることで「総合的な学習の時間」と関連させることもできる。
 
提言
 選択制の大幅な導入に伴い,適切な教科・科目を選択する能力を育む上で,高等学校の「産業社会と人間」の学習内容も参考になると考えられる。
 
13  「総合的な学習の時間」の評価
 「総合的な学習の時間」は,成績によって数値的には評価はしないとしているが,評価活動をしなくてよいということではない。生徒自らが課題追究の過程を,自ら振り返り,評価し,改善を図っていくこと,また活動全体を振り返り,生き方を探るための評価を工夫する必要がある。そして,その「総合的な学習の時間」の評価にあったては,結果の評価ではなく,児童生徒の活動や学習における「過程の自己評価活動」を重視したい。
 すなわち,達成事項を評価する方法(ポートフォリオ等)を活用し,「自己目標」に照らして,「自己学習」が十分であるかどうか,自分が追究したことを洗い出していく自己分析力が自己評価活動を支えることになる。自己分析力は,自分で「考える」ことの習慣付けがあってこそ,その延長上に芽生えてくる。従って,「総合的な学習の時間」以外の教科や道徳,特別活動等の場面で児童生徒に考えさせる教師側の日々の働きかけが同時に「総合的な学習の時間」の活動を補完することにつながっていく。
 また,評価については,「総合的な学習の時間」が,児童生徒に真の学力をつけるための手段にすぎないことも忘れてはならない。児童生徒が,どう変容したかを評価することが大切である。例えば,コミュニケーションを課題に掲げてこの時間の学習を進めるのならば,発表会では,「総合的な学習の時間」を公開授業とするのではなく,普通の国語や社会や数学の授業を公開し,生徒の発言や発表が学級の生徒全体に聞こえ,理解できるようになされているかどうか,学習の成果として評価されるべきものである。
 自ら思考し判断した結果の力,横断的総合的に学習した結果の力,地域の実態を取り入れて学習した結果の力等が何らかの形で児童生徒の変容として現れることが期待されていなければならない。「総合的な学習の時間」は総合的であっても,学習は児童生徒一人一人のものだから,(総論的な評価よりも,ねらいに対して十分に到達できなかった)数パーセントの子どもの反応もきちんととらえて,その対策をどうするかを考える視点を忘れてはならない。
(1)  学習の主体者としての自己評価
 評価は学習をよりよく展開するのに必要な活動であり,問題解決的な学習が主体的に行われれば,評価の活動も必然的に行われる。その意味から「総合的な学習の時間」の評価の基本として自己評価が掲げられる。ここでいう自己評価は単なる手続きとして振り返りカードを使ったり反省を書くような,やらされているものではなく,評価の活動の主体としての自覚に基づいていることが重要になる。
(2)  自己評価力を育て,高める働きかけの重要性
 いきなり評価活動を児童生徒に委ねない。
 自分の状態を判断することは訓練を積むことで身につく。
 教師の働きかけ
 振り返りを促す発問(適宜),評価情報の提供(主体的に用いるチェックリスト),相互評価,各種の自己評価カード(主体的な評価活動の手段として観点を示唆し,気付きを促す工夫がされたもの),評価情報の収集活動そのものを学習活動の一環として導く,自分自身の学習履歴の収集,管理,他者との比較により自分の学習が自分自身に納得いくものになるように自己制御できる能力を育てる。
(国立教育研究所主任研究官 奈須 正裕氏)
参考資料 「総合的な学習の時間」の評価(教育課程審議会答申から)
 「総合的な学習の時間」の評価については,この時間の趣旨,ねらい等の特質が生かされるよう,教科のように試験の成績によって数値的に評価することはせず,活動や学習の過程,報告書や作品,発表や討論などに見られる学習の状況や成果などについて,児童生徒のよい点,学習に対する意欲や態度,進歩の状況などを踏まえて適切に評価することとし,例えば,指導要録の記載においては,評定は行わず,所見等を記述することが適当であると考える。
 
提言
 「総合的な学習の時間」の入り口では,児童生徒に学習計画・学習実践・学習の自己評価へとつながる循環する考え方が児童生徒の発達段階に応じて成立するように働きかけることが大切であると考えられる。
(3)  活動や学習過程の評価
 表情,行動の様子,集中力,真剣さ,粘り強さ,伸びようとするよさ,がんばり
 評価したことを指導に生かし,評価と指導の相互補完をはかること。
 評価が児童生徒の次の活動への意欲を高める契機となっていくこと。
 自己評価,相互評価の能力をはぐくむ。
(愛知教育大学助教授 寺本 潔氏)
(4)  報告書や作品の評価
 課題設定について
 動機,きっかけ,課題へのその子の思い,意欲
 研究方法・作り方・道具だてについて
 課題と解決方法,作り方などとの対応関係の適切さ,課題に対する情報の量・情報の質
 発表時の表現について
 伝達の工夫点やその効果
(神戸大学助教授 浅田 匡氏)
(5)  発表や討論の評価
 発表
 自身の考えや思いが他者に伝えられているか,自分の考えや思いを再確認できているか,考えを知る方法となっているか,プレゼンテーション能力の評価。
     討論
 自己の考えが深まったか,他者の考えと交流できたか。
 相互交渉で知識が獲得される過程(三宅1982)
 一緒に考える(一つのテーマに添って異なる経験・知識での分業が起こる),課題を分ける(課題ごとの分業が起こる),分業から統合へ(関わり合いの中で相互作用,交互交渉が起こる)
評価の工夫
 内容,発表の仕方,討論の仕方,に加えて活動自体が学習として持つ意味を観点として加味する工夫が必要である。
観点 理解度,活動への取り組み等
手がかり 発言内容やつぶやき,ノート,聞く態度等
評価方法 教師観察,子どもによる自由記等
評価基準 できている,できていない
評価時期 いつ評価するのか
(玉川大学講師 羽豆 成二氏)
(6)  教師の評価活動
 生徒の自己評価活動をモニターしていくのが教師の評価活動である。生徒の自主的な学習活動を教師が支援・指導する。
 結果の評価から程の評価へ
 「できる」・「できない」→「熱心に」「一生懸命に」「自ら進んで」(情意副詞使用)
 学習成果を評価する(パフォーマンス評価)の工夫
 活動への参加状況 参加意識 レポートや作品・発表観点から
(聖徳大学教授 渋谷 憲一氏)
 
提言
 「総合的な学習の時間」においては,放任的な自己評価をさせるのではなく,評価の中心は次の学習課題を探そうとする児童生徒の自覚に基づく自己評価活動にあると考えられる。
 教師はこの時間の活動内容のねらいを明確化し,一人一人に達成目標を持たせ,学習につれて自己目標を自己確認するような考え方を児童生徒に育むことを意識すべきであろう。児童生徒にこの考え方が成立したときが自ら学び出す第一歩であると考えられる。
 
14  教師の高い力量を引き出す校長のリーダーシップ
 このような教育課程の編成には教師の高い力量と校長のリーダーシップが必要性である。移行期間を通して,校長のリーダーシップのもと教師一人一人が考え,意見を出し合いながら,協働で教育課程の創造に関わるような環境を整えることが学校の活力を増幅させることにつながる。
 したがって,堰を切ったように「総合的な学習の時間」構築へと慌ただしく走るのではなく,全体の教育課程を視野に入れ,総単位数の占める割合の最も多い教科の部分の教育課程の編成において,生きるために必要な「確かな学力」をどのように工夫して培うのか,従前の教育課程では学力は本当についていたのか,改善点は何か,などを具体的,客観的に把握していることが前提になる。そして,一人一人の教師が自分で教育課程全体を編成するという意識で意見交換をしながら協働作業を進めることが,「教科書のない方法」に対処する教師側の習熟度を高めることにつながる。
 まず既存の教育課程についての評価や実態調査等を経て,学校の現状を把握してから新教育課程全体の編成や「総合的な学習の時間」の設定に踏み出して欲しい。児童生徒の基礎的・基本的な学力の増進と「総合的な学習の時間」を活かした「考えることの好きな児童生徒の育成」が展開されてもよい。「総合的な学習の時間」を通して『社会的存在としてよりよく実在する』意欲が高まれば「知離れ」への危惧も解消へ向かうであろう。全教職員が,教科書のない方法を含む今般の教育課程の編成にそれぞれの立場から協働して関わっていけるように環境を整備することが重要である。
 さて,学校が児童生徒に用意した教育課程の有効性を確かめながら運営を進めるならば,集団の学力の変化を客観的に把握する必要に迫られ,偏差値の有用性に着眼する必要が生じる。全単位数の中で多くを占める各教科の運営状況を検証し,基礎・基本の徹底状況等を鑑みながら,移行期にかけて調整していく際にも,拠り所となる客観的な資料が必要になる。これらの拠り所となる資料をどのように準備するかはこれからの学校の重要な作業となる。偏差値で子どもを教育しては何にもならないが,過度の受験指導でイメージダウンし,教育界において忌避反応を示されることも少なくない偏差値の有効かつ適切な活用はこれからの教育課程の在り方の中で求められてくる可能性はある。
 
提言
 校長の適切なリーダーシップにより,教育課程編成に携わる組織作りを進める必要がある。検討機関としての活発な意見交換や既存の部署の利害関係に左右されない巨視的な発想を促すことも大切になる。特に中学校・高等学校では他教科と協調しつつ自教科の専門性を開いていく柔軟性が大切である。教育課程全体の方向性から結果として各教科の単位数が決まるのであり,各教科の既得単位数に終始する議論からはパラダイムの転換は図れないであろう。
 
15  教育課程編成と説明責任(アカウンタビリティー)
 公立小・中・高等学校が社会の激しい変化の中で存続し,県民の期待に応えていくには地域や学校の実態,課程や学科の特色,生徒の心身の発達段階及び特性を十分考慮しつつ,児童生徒の実態に応じて対応できる柔軟な構造を「総合的な学習の時間」に持たせることが重要である。少なくとも入学生ごとに実態を把握し,それに応じて学習内容を調整する仕組み等の工夫が必要である。保護者や児童生徒,学校の実態調査等を前提に,今まで学校が累積してきた実績・成果といった学校文化を継承・発展させながら,先ずは『社会的存在としてよりよく実在する』という強い意欲を児童・生徒に喚起させることが「生きる力」をはぐくむことにつながる。
 校長はこの時間の展開により,学校が児童生徒に身に付けさせたい具体的内容とねらい実践方法・実践計画・実践活動及び「総合的な学習の時間」の成果等について生徒や保護者に説 明する機会を設け,教育課程の中で地域や学校の特色に応じてこの時間を展開する趣旨を校内外に理解させる責任がある(説明責任:アカウンタビリティー)。
 また,校長はこの時間の適切な展開により,その教育効果は教科・科目や特別活動等に還元され相互補完しながら学校教育目標の具現化に寄与する機能を有することを職員に理解させる必要がある。特に高等学校学では,この時間が【道徳教育の指導の機会となる(高等学校学習指導要領第1章第1款2)】ことを理解させることも重要である。この時間の創造にあたっては適切なリーダーシップを発揮することが校長に求められる。
 
提言
 学校への権限委譲に伴い,これからの学校(長)には,学校経営や,教育課程を通して児童生徒に身に付けさせたい具体的内容とねらい・実践方法・実践計画・実践活動及びその成果等について,今まで以上に生徒や保護者に説明する責任(説明責任:アカウンタビリティー)や情報開示が求められるようになるであろう。
 
提言
 「総合的な学習の時間」と他の学習内容との相互補完は,教師側が児童生徒に「考える」ことを習慣付けることにより,以下の循環する「考え方」が成立し,この考え方が別の学習活動に組み込まれていき,他の学習における児童生徒の気付きや興味・関心が次の「総合的な学習の時間」の学習内容の入り口となっていくことであろう。
 この循環する「考え方」が成立すれば,教科書のない学習は深まり,教育課程の中で機能すると考えられる。

循環する「考え方」
(1)  裁量権拡大と説明責任
 中教審答申では行政改革の一環としてとりあげている。
 地方分権推進法の下での行政改革の方向
 規制緩和,分権,自己責任,情報公開,参加,を社会運営(組織運営)の原理に据えようとしており,教育行政も例外ではなく,中教審答申の方向にも反映している。
 経営責任と説明責任
 業務内容の公開,運営の透明化により,行政サービスを求める者に対して情報公開し組織の経営責任を明確にし,サービスを求める者の選択行動を可能にすることで,行政サービスを求める側への社会的な信頼が確保される。
 学校が地域住民の信頼に応え,家庭や地域が連携して教育活動を展開するには,学校を家庭や地域に開かれたものとし,学校の経営責任を明確にする取り組みが必要だとする観点から,「学校の教育目標とそれに基づく具体的教育計画,またその実施状況についての自己評価を,それぞれ,保護者や地域住民に説明することが必要である。」とした。具体的な改善策として「教育計画等の保護者,地域住民に対する説明」では,「各学校においては,教育目標や教育計画等を年度当初に保護者や地域住民に説明するように努めること。
 また,自己評価が適切に行われるよう,その方法等について研究を進めること」を提言している。(中教審答申1998.9.21「今後の地方教育行政の在り方について」)
(2)  説明責任(アカウンタビリティー)
 教育の業務を行うことを要請されている学校が保護者や住民に対して業務内容についての正当性や合理性を説明する責任が学校側にあるとする考え。教育費や教育にそそぎ込まれる税金がそれに見合っただけの効果や結果を生みだしているかを行政は住民に説明する責任を負い,住民は行政側に要求できるとするアメリカにおいて出てきた考えかた。教育実施機関である学校にもアカウンタビリティーがあるとされ,学校の活動に対する説明責任という経営責任が生まれてきた。
(3)  説明責任の必要性
 学校の提供する行為や活動が保護者や住民からの支持,協力を得て行われる。とりわけ保護者が学校の活動について,積極的に学校側に説明を求める権利(知る権利)に答えるための経営責任としての内容が含まれる。
(4)  中教審答申の特徴にみる学校の自主性と自律性の確立
 これまで「教育委員会の関与が必要以上に強すぎて学校の主体的活動を制約している」(中教審答申)との観点から「できる限り各学校の判断によって自主的・自律的な特色ある教育活動を展開できるようにする」必要があるとし,校長には従来の管理機能を重視した学校運営(法令などにかかわる知識とその活用に基づき,一定の方式,基準に従ってどう達成するかに主眼をおいた運営)から管理機能を生かしつつ経営機能を中心におくような学校経営が求められている。
(5)  個性や特色ある教育活動を展開するための校長の資質・能力としてつぎのものをあげている。
 教育に関する理念や見識を持っている。
 地域や学校の状況・課題を的確に把握しながらリーダーシップを発揮することができる。
 教職員の意欲を引き出しことができる。
 関係機関との連携・折衝を適切に行うことができる。
 組織的・機動的な学校運営を行うことができる。
 
提言
 教育課程の運営が有効であったかどうかを判断するための客観的なデータの累積に留意する。移行期にかけて教育課程運営の評価に基づき改善を加えていく必要性があろう。
 
16  提言集
 
「生きる力」
提言1 「生きる力」の巨視的な視点 p.15
 「生きる力」として列挙される多くの考え方を『社会的存在としてよりよく実在する』という視点から見直すと学校の多様な実態に応じた「総合的な学習の時間」の編成の糸口が見えてくる。
提言2 『社会的存在としてよりよく実在する』という視点の汎用性 p.17
 「生きる力」を『社会的存在としてよりよく実在する』ために必要なことと考えると教科指導,道徳の指導,特別活動,進路指導,生徒指導(教育相談における活動内容も含む),特殊教育諸学校における活動内容,生涯学習等の内容が統合的に扱える。
提言3 「生きる力」の構造化の必要性 p.19
 各学校が児童生徒の実態に応じて「生きる力」の構造化に取り組むことは、「問題解決に主体的に取り組む、活発な自己活動の学習過程」の展開や「学習内容の効果的な習得」を容易にし、「学習の質的レベルの向上・深化を図る」ことにつながる。また、教育過程の編成において、「総合的な学習の時間」の学習内容の統一性、一貫性、意図的配置、評価活動の視点の位置付けがしやすくなる。
提言4 「生きる力」の構造化が「総合的な学習の時間」にもたらすもの p.20
 生きる力の構造化により,「総合的な学習の時間」の学習内容の系統性,一貫性が確保でき,校種間や学年間での重複が回避できる。また,各学校のねらいに対する学習内容の意図的配置を容易にし,評価活動を効果的に進められる。
「総合的な学習の時間」
提言1 総合化への教師の働きかけ p.23
 「児童生徒の中で総合化する」には,児童生徒の中に覚醒された自覚がなければならない。そこにも教師の援助・支援がもとめられる。
 学校教育が,意図的・組織的に進められる以上,学習を楽しいものにすることのみを求めて,児童生徒の自発的な課題意識だけに頼っていては,知識や技能のネットワークを創り上げることはできない。
 基礎・基本を確実に身に付けさせるとともに,それを総合化させるために「生かして使う」場面としての「総合的な学習の時間」が設定される必要がある。少なくとも,数多い「総合的な学習の時間」の中に,はっきりとこの目的を意識した単元が確実に存在してもよい。
提言2 「総合的な学習の時間」で重視するもの p.35
 「総合的な学習の時間」では,知識内容を教えることよりも,情報の集め方,調べ方,まとめ方,報告や発表・討論の仕方など学び方やものの見方や考え方,自己評価活動等を習得することを重視する。
提言3 「総合的な学習の時間」に求められる柔軟な構造 p.98
 「総合的な学習の時間」には,少なくとも入学生ごとに実態を把握し,児童生徒の興味・関心に合わせてこの時間への入り口が変えられるような柔軟な構造を持たせることが重要である。一度設定して同じ内容をくり返すのでは,はい回る経験学習へ向かう可能性が大きくなると考えられる。
提言4 教科書のない方法の授業展開を支えるもの p.98
 「教科書のない方法」を創りあげるには,教師間の前向きな議論,意見交換,着想を出し合う場が不可欠である。そのためには,教職員の協働作業意識を高める校内研修の充実や発言を促す校長の適切なリーダーシップの発揮が必要である。
提言5 「総合的な学習の時間」の設定と実態把握の重要性 p.102
 教師の意識の問題として,最先端の実践をしたがること,方法論・技術論に偏りがちであること,発表至上主義に陥りやすいことがある。そして,実践を振り返った時,児童生徒がどう成長したかの検証を忘れて,時代の波に乗っているだけの授業をつくってしまうおそれがある。
 指導要領の総則に,「総合的な学習の時間」の取り扱いについて「各学校は,地域や学校,児童(生徒)の実態等に応じて」とあることを重く見て,児童生徒の成長保障につながる実践を模索する必要がある。教師の陥りやすい意識を払拭し,児童生徒の実態に立つことが,「総合的な学習の時間」の成功の第一歩である。
提言6 「総合的な学習の時間」の教育課程編成上への位置付け p.104
 「総合的な学習の時間」は,今回の指導要領改訂の目玉であるが,教育課程編成の目玉ではない。「総合的な学習の時間」は教育課程全体の一部である。編成の中核は,あくまでも学習内容としての基礎・基本であって,「総合的な学習の時間」はその中に染み込んで機能する潤滑油と考えてはどうか。もう少し踏み込むとしたら,基礎・基本の確実な定着と,基礎・基本を生きた力とするための方策として「総合的な学習の時間」を位置付けるのが妥当であろう。
 新学習指導要領では「総合的な学習の時間」を各教科・道徳・特別活動に加えて第4の領域とはせずに総則に置いている。これは,この時間の展開が各学校の創意工夫に委ねられ,国が目標や内容等を示さないからである。つまり,全国の多様な実態に応じて,この時間の枠内で各学校が多様な内容を展開しても「機能」性が高いために教育課程における共通の効果が期待できるのであろる。
提言7 「総合的な学習の時間」の入り口で必要なこと p.109
 「総合的な学習の時間」の入り口では,児童生徒に学習計画・学習実践・学習の自己評価活動へとつながる循環する考え方が児童生徒の発達段階に応じて成立するように働きかけることが大切であると考えられる。
提言8 「総合的な学習の時間」の評価 p.110
 「総合的な学習の時間」においては,放任的な自己評価をさせるのではなく,評価の中心を次の学習課題を探そうとする児童生徒の自覚に基づく自己評価活動に置くことが大切である。教師はこの時間の活動内容のねらいを明確化し,一人一人に達成目標を持たせ,学習につれて自己目標を自己確認するような考え方を児童生徒に育むことを意識すべきである。児童生徒にこの考え方が成立したときが自ら学び出す第一歩である。
提言9 「総合的な学習の時間」と他の学習内容との相互補完 p.112
 「総合的な学習の時間」と他の学習内容との相互補完は,教師側が児童生徒に「考える」ことを習慣付けることで,以下の循環する「考え方」が成立し,この考え方が別の学習活動に組み込まれていく時,他の学習内容における児童生徒の気付きや興味・関心が次の「総合的な学習の時間」の学習内容の入り口となることであろう。この循環する「考え方」が成立すれば,教科書のない学習は深まり,教育課程の中で機能すると考えられる。
循環する「考え方」
教育課程
提言1 教育改革下での教育課程の在り方 p.95
 教育課程の在り方においては,地域の実態に即した特色ある学校づくりを通して,画一的な編成からのパラダイム転換を図り,多様な需要に対する柔軟できめ細かな教育を供給することが必要であると考えられる。
提言2 教育課程編成と特色ある学校づくりへの視点 p.97
 教育課程の編成を通して学校の特色を出す際には,これまでに累積,継承してきた学力水準や学校文化の維持,発展を基礎とする。また,保護者の公教育への満足感を膨らませる視点や,児童生徒の規範意識・自尊感情を高揚させ,学問的あるいは知的な関心を持って真剣にものごとを考える姿勢を育むことで「知離れ」を是正する視点を持つことも大切である。
提言3 教育課程編成上のねらいと意識実態調査の関係 p.102
 「児童生徒の思いや願い」と教育課程編成上のねらいは必ずしも一致しないこともあるという視点に立ち,意識実態調査の処理を進める。意識実態調査は児童生徒の興味・関心がどこにあるかを把握して,「総合的な学習の時間」等への入り口を決めるにはよいが,短絡的な迎合で終始すれば,知力低下の入り口となるおそれがある。
提言4 学校の裁量権増大と教育課程を考える視点 p.103
 新しい学習指導要領は,かなり多くの運用を学校の裁量に委ねている。こういう時に必要なことは,技術論・方法論に振り回されることなく,教育原理・学習心理の根本を踏まえ,「児童生徒の成長保障」に基盤を置いたカリキュラムを考えることが大切であろう。方法や技術は,子どもが「人間として確かに伸びて育つこと」をめざすなかで求められるべきである。
提言5 適切な選択能力育成へのヒント p.108
 選択制の大幅な導入に伴い,適切な教科・科目を選択する能力を育む上では,高等学校の「産業社会と人間」の学習内容も参考になると考えられる。
提言6 教育課程編成の組織づくり p.111
 校長の適切なリーダーシップにより,教育課程編成に携わる組織作りを進める必要があろう。検討機関としての活発な意見交換や既存の部署の利害関係に左右されない巨視的な発想を促すことも大切になる。特に中学校・高等学校では他教科と協調しつつ自教科の専門性を開いていく柔軟性が大切である。教育課程全体の方向性から結果として各教科の単位数が決まるのであり各教科の既得単位数に終始する議論からはパラダイムの転換は図れないであろう。
提言7 これからの教育課程と説明責任(アカウンタビリティー) p.112
 学校への権限委譲に伴い,これからの学校(長)には,学校経営や,教育課程を通して児童生徒に身に付けさせたい具体的内容とねらい・実践方法・実践計画・実践活動及びその成果等について,今まで以上に生徒や保護者に説明する責任(説明責任:アカウンタビリティー)や情報開示が求められるようになるであろう。
提言8 教育課程の改善 p.113
 教育課程の運営が有効であったかどうかを判断するための客観的なデータの累積に留意する。移行期にかけては,教育課程運営の評価に基づき改善を加えていく必要性があろう。


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